2008年1月12日土曜日

狼たちへの伝言2

落合信彦

熱い言葉で、若者を突き放してのエール。

近頃では、親子の結びつきが弱くなった。息子の言うことを聞く父親が増えたためだ。 かれらは生き方に自身がないものだから、息子に何ら精神的なものを与えることができない。 子に残すべきは、人生とは、生きるとはどういうことなのか、という現実を凄絶な生き様を息子に見せる。 それが、親が残せるただ一つの遺産なのだと思う。

国際化を進めていかなければいけない時代に、この国でしか通用しない元号に、どんな意味があるのか。

楽天主義とは、ちょっと判断の甘い人間だとか、物事をあまり深く考えない人間のように考えられているフシがあるが、そうではない。
自分の運命は自分の運命で切り開けるものだと楽観している。
そして、実現のための努力を惜しまない。

楽天主義者は、ただ事態を甘く考えているわけではない。論理的思考で、現実を客観的に見ているし、あらゆる可能性の中で何がベストなのかを知っている。
そして、結果がどんなものであってもすぐに対応すべくオプションを常に用意しているのだ。
物事を自分の都合のいいようにだけ考え、何の努力もしないのは単なるバカだ。

「誘拐されるかもしれない、と考えるよりも、父親が何かw君に試みたときに、君はどうすればベストなのか、やるべきことを決めておけばよいのだ。」
(初秋/ロバート・B・パーカー)

欧米人の場合、日常生活の中でどれだけすぐれたジョークを発するかを常に考えている。
ユーモアの効かせ具合が、その人物のセンスの良さ、頭の良さをはかる基準になっているのだ。
それに比べ、日本人にジョークの精神が賭けているのはなぜか。
人と人とが、真剣に自分の意見を述べ、互いに徹底して議論するか、そうでないかの違いだと考えられる。

日本とアメリカ、もしくはヨーロッパの民主主義との国民の意識の違いは、大きく国民が責任を持つか持たないか、甘えるか甘えないか、の差異であろう。
日本人は楽をしているのだ。

自分の夢を実現したい、何かに賭けてみたい、そんな意欲が俺の行動の原動力だった。
俺自身の精神的充足のために汗を流してきたのだ。
その結果、金が俺を追いかけてきた。

「どんなことがあっても、世界の終わりが来ても、必ず俺がお前の骨を拾ってやる。」



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