2008年1月8日火曜日

日本人なら知っておきたい神道

武光誠

しきたり、風習、そして、ものの感じ方…私たちの生活には、神道が広く関わっている。
また、神社の存在や冠婚葬祭、年中行事は、神とともに生きてきた日本人の心を物語るものである。古代以来、日本は何ゆえに神道を必要とし、後世に伝えてきたのか?知られざる“この国の原点”がみえてくる。

  • 「なぜ節分に豆を投げるのか?」
奈良時代に中国で行われていた追儺という行事が取り入れられた。
追儺とは、災厄をもたらす悪い霊を追い払う行事である。
陰陽五行説では、豆や桃などの硬い実は「木、火、土、金、水」の金を象徴するものとされ、刀剣などと同じく悪いものを退ける性質をもつという。
この考えにより、黄泉の国を訪れたい伊奘諾尊が桃のみを投げて黄泉の国の雷神を追い払ったとする神話や、桃から生まれた桃太郎が尾に胎児をする物語が作られた。

  • 「お守りを持っているだけで、病気や事故から逃れられるわけではない。古代人がお守りとして身に付けていた玉類を身に付けていた習俗が元になっている。」
古代人は、玉を精霊をあらわすものと考えていた。
精霊は常に丸い、偏らない考えを持っている。
ところが、人間にはさまざまな欲望があるから、その霊魂の形が、つい片寄った形になる。
そのため、古代人は完全な霊魂の形をあらわす魚狂いを身に付けて、時々それを眺めることによって、自分の霊魂を丸い形に保つように心掛けた。

  • 「密教を身に付けた高僧は仏と同等の強い呪力を持ち、あらゆるものを思いのままに操れる。」
そのため、平安時代の貴族は密教僧に雨乞いなどを祈らせていた。

  • 「土器の製作は人間にとって驚異であった。土を水でこね、風を送り込み火をつけることで土器ができあがる。」
そうしたことから、多くの精霊の中の自然界を構成する「地・水・火・風」の四台精霊を特に尊敬する気持ちを持った。

  • 「お祭り好きな日本人が戦後になって、クリスマスという新たな日本の祭りを作った」
クリスマスパーティ開いて、歓談を楽しみ、プレゼントを交換する。この形は、神道の祭りそのものである。境界で心静かに礼拝をする静養のクリスマスは、明らかに日本のそれとは異なる。
キリスト教の宗教行事まで日本化していく神道の柔軟さはいったいどこから来るのか?

  • 「日本人は、最新の科学技術であっても、神の加護の元で運用しなければならないとする発想を強く持っている。」
交通安全のお守りをおいて、最新の科学技術の成果をつめこんだ自動車を運転している人も少なくない。

  • 「世界の宗教の大部分は、きわめて排他的である。自分たちの持つ信仰が、他社とは異なる唯一の正しいものだと主張することによって成り立つ宗教も多い。これに比べると神道はきわめて柔軟な性格を持っている」
それゆえ、似た性格を持つ、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の三者が永木に渡って対立してきた。
それに比べて、神道を信仰する者が他の宗教を排撃することはまず無い。神道は、これまでに異文化のよいものを次々に取り込んできた。

  • 「人々が生命力に満ちた楽しい暮らしをすること(産霊)を最大の善とする。」
「神道には穢れとそれと対になる祓いという独自の概念がある。穢れとは、気(霊)枯れ(生命力が枯れた状態)で、死につながるものとして忌み嫌われる。」
日本人は、法律的には罪にならなくても「きたないこと」をするやつをたいそう嫌ってきた。
日本人の持つ「恥を知る心」は、周りからきたない人間と見られること(恥をかくこと)を避けようとする生き方から作られた。

  • 「日本の祭りの原型は、人々が神とともに飲み食いし、音楽や芸能を楽しむものである。これは、神と人間がともに楽しみ、明日から生きる活力をつけようとする発想でなされた。」
神と人とが力を合わせて稲を育てることによって国の安泰がもたらされるとされた。

  • 「自然を整えるのは神の役目で、個人的な望みを聞くのが仏の仕事」
  • 「神道の理想は、すべての人間が明るく過ごし、生きとし生けるものすべてが反映することにあり、その方向に人々を導くものが、日本では尊敬されてきたのである。」
これが、「タテ社会」の原点。

  • 「神道は生命の尊重の上に作られた宗教である。それゆえ、神道は、”生命あるものを生み出し、作り出す”ことをあらわす”産霊(むすひ)”という行為を最大の善行とするものである。この生命あるものとは、人間や動物だけを指すものではなく、人間がつく出だしたさまざまな品物を含む概念である。」
日本の「ものづくり」の技術の高さの根底にあるものといえよう。



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