2009年7月25日土曜日

I LOVE YOU / 伊坂幸太郎、石田衣良、市川拓司、中田永一、中村航、本田孝好

恋愛には未知の物語がある。始めて恋心を意識したとき、幼馴染に異性を見出したとき、彼女との間に微妙な心の距離を感じたとき、初恋の同級生と再会を果たしたとき、彼女と恋愛のルールを決めたとき、そして連れ添った相手との別れを予感したとき・・・・・

伊坂幸太郎の世界観は相変わらず良いなぁ。

伊坂幸太郎/透明ポーラーベア
「だって、クイズって、答えが出るじゃないですか」

石田衣良/魔法のボタン
透明になるボタンと、石になるボタン。

市川拓司/卒業写真
同姓の異性友達と初恋の相手の話。

中田永一/百瀬、こっちを向いて
近所の先輩の頼み。

中村航/突き抜けろ
ぶっ飛んだ木戸さん。

本田孝好/Sidewalk Talk
水周りを共有しただけのワンルームマンション

その一瞬。自分を襲った劇場が何なのか、僕にはわからなかった。すっと僕の前を通り過ぎる彼女。その途端、圧倒的な何かが僕の体を通り抜けた。めまいすら感じて、僕は思わず目を閉じた。

嗅覚をつかさどるのは大脳の旧皮質なの。そして、旧皮質の両側にあるのが海馬って言って、これが記憶を司っているのね。

だから?

だからね、嗅覚は五感の中で一番記憶に直結している部分なの。

今日、香水をつけてきた理由。あなたはきっと、この香水をかぐたびに今日のことを思い出す。あなた自身の中で、言葉にすら変換されていない、一番ピュアな感情をね、思い出してくれるんじゃないかって。

私ね、素直じゃないから、けんかしても、自分から謝れないこともあると思うの。いっぱいあると思うの。だから、そういうときには、この香水をつけていく。この匂いをかいだら、今日のことを思い出して。思い出したら、私は胸の中で一生懸命に謝ってるんだと思って。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいって。



水滸伝(1)/北方謙三

[林冲]

12世紀の中国、北宋末期。
重税と暴政のために国は乱れ、民は困窮していた。
その腐敗した政府を倒そうと、立ち上がった者たちが居た。
世直しへの強い志を胸に、漢たちは圧倒的な官軍に挑んでいく。
地位を捨て、愛するものを失い、そして自らの命を懸けて戦う。
彼らの熱き生き様を刻む壮大な物語が今、幕を開ける。

禁軍武術史範、王進
禁軍武術史範代、林沖
鄆城役人、宋江
東渓村の役人、晁蓋
医師、安道全
放浪の僧、魯智深
北京大名府の大商人、盧俊義
梁山湖の盗賊頭、王倫
盗人、鮑旭

壮大な物語のため、まだまだ序章という感じのする始まりで、これから徐々に登場人物も増えてきて、詳しく人物形成がなされていくんだろうと思う。

晁蓋
「私は確かに役所とやりあったりする。だから役所にも睨まれているのだろう。しかし、それは村人のためにやっているのではないのだ、朱貴殿。私は私のためにやっている。生きている。そう思いたいからだ。」


2009年7月11日土曜日

砂漠の薔薇/新堂冬樹

お受験を通し、平凡な主婦が狂気を増幅させる様を描いたミステリー

お受験を目指す主婦たちのおかしな執着心、執念を描いています。
う~ん、奥さんがこういう風になった場合に、旦那は何もしてあげられないのかな。
まさに狂気です。お受験なんてやめましょう・・・。

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女という生き物は、男への未練は断ち切れても、自分への未練は断ち切れないのはなぜでしょうね?

あなたがたに、人生の全てをかげとして生きてきたもののつらさが分かりますか?どんなに頑張っても、何を言っても、私の姿は誰にも見えないし、私の声は誰にも届かない。なのに誰もが、彼女が口にする言葉には耳を傾け、振る舞いの一つ一つに瞳を輝かせる。

そして、この世から彼女の肉体が消滅した瞬間に、影も消えるんです。馬鹿ですね。本体が無くなったら影も存在できるわけ無いのに。


2009年7月7日火曜日

ナポリ/田之倉稔

確かに、タクシーをのると、広い道路を勝手に横断する歩行者を見たり、交通規則を無視して走る車に出会ったりする。そんなとき運転手は「ナポリ人はみな、プルチネッラだ」などという。それほどナポリの大衆はこの道化に自己の分身を見ている。

今まで訪れた都市で、もっとも興味深かったのがナポリである。

ナポリは治安の悪い都市として有名である。「サファリ・ルック」などという意地の悪い冗談を観光業者は使うようである。バスから降りずに市内観光することを指すのだそうだ。

ヴォイエッロというパスタには、プルチネッラが描かれている。
元来、スパゲッティはナポリからイタリアに広まり、やがて国境を越えていったものであるから、このプルチネッラ印が、本場のしるしといえよう。

市民の食であったピッツァを宮廷が取り寄せ、王妃のマルゲリータが食べた。
ピッツァマルゲリータの由来である。

「地球で最も美しい国に、最も愚かなものが住んでいる」
美しい歌を歌う人魚の街・・・ナポリ。

トマトソースの考案とパスタとの融合はナポリ料理の最大の功績である。

他の地域の人にとっては、ナポリ語は喜劇的に響くようである。


2009年7月6日月曜日

血涙(下)/北方謙三

楊家将とは異なり、全ての物語が終わったという終わり方でした。

下巻は戦というよりも、心の戦いがメインになっていたためか、楊家将の楊業軍のような凄みのある戦闘の雰囲気が無かったように思う。
そういう意味でも、ハードボイルドらしい小説だったと思います。

それぞれ無くなっていく将軍らの、最後の描写が泣かせます。

まさに血の涙。

最後に蕭英材が語った言葉も熱い。
「私は楊四郎の息子ではありません。石幻果の息子です。祖父は耶率休哥、祖母は大后様と思い定めております。」



2009年7月5日日曜日

血涙(上)/北方謙三

楊家軍再興と耶率休哥軍との新たな戦い。

楊家将を読んだだけでは、中途半端なところがあって終えられないでしょうっていうことで、続編をすぐに読んでしまいました。

まず、登場人物紹介の一人目の説明を見て、タイトルの意味がなんとなく想像できた。

楊家将に引き続いて、戦や調練のシーンは迫力があって面白いが、この物語のメインは心の戦いでしょう。

上巻の最後、吹毛剣と吸葉剣がぶつかることで・・・。

下巻でどうなっていうくのか・・・もう止まりません。


2009年7月4日土曜日

竜馬がゆく(8)/司馬遼太郎

慶応三年十月十三日、京は二条城の大広間で、十五代将軍徳川慶喜は大政を奉還すると表明した。
時勢はこの後、坂を転げるように維新にたどりつく。
しかし竜馬はそれを見届けることも無く、歴史の扉を未来へ押し開けたまま、流星の様に。

「全て西郷らに譲ってしまう。おれは日本を生まれ変わらせたかっただけで、生まれ変わった日本で栄達するつもりは無い。」
「こういう心境でなければ大事業というものはできない。おれが平素そういう心境で居たからこそ、一介の処士にすぎぬ俺の意見を世の人々も傾聴して来てくれた。大事を成し遂げえたのも、そのおかげである。」
「仕事というものは、全部をやってはいけない。8分まででいい。8分までが困難の道である。あとの2分は誰でもできる。その2分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それで無ければ大事業というものはできない。」

「世界の海援隊でもやりましょうかな」


竜馬がゆく(7)/司馬遼太郎

同盟した薩摩と長州は着々と倒幕の体勢を整えていく。が、竜馬はこの薩長に土佐を加えた軍事力を背景に、思い切った奇手を案出した。大政奉還---

薩長による倒幕が盛り上がってきた京都。
長崎に居る土佐の参政後藤象二郎のもとに、土佐の大殿様山内容堂から京都への召し状が届いた。
一緒に来てくれと、頼む後藤に、竜馬は一日考えた末、一緒に行くと決意する。

翌早朝、短艇で夕顔丸に近づき、乗り込むシーンが印象に残っている。

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竜馬は頭上に手を伸ばしてはしごを大きくつかみ、するすると登り始めた。
そのとき、奇瑞のように陽が昇った。短艇上で見上げている者たちが、(あっ)と声をのんだほどにそれは劇的な効果があった。陽の中を、竜馬が登っていく。隊士たちは見上げつつ、声をうしなった。
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船中八策
1.天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出づべき事
2.上下議政局を設け、議員をおきて、万機を参賛せしめ、万機よろしく講義に決すべきこと
3.有材の公・諸侯、および天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべきこと
4.外国の交際、広く公議を採り、新たに規約を立つべきこと
5.古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべきこと
6.海事よろしく拡張すべきこと
7.御親兵をおき、帝都を守護せしむべき事
8.金銀物資、よろしく外国と平均の法を設くべき事




2009年7月3日金曜日

竜馬がゆく(6)/司馬遼太郎

幕府を倒すには、薩摩と長州が力をあわせれば可能であろう。しかし、互いに憎悪しあっているこの両藩が手を組むとは誰も考えなかった。
奇跡を、一人の浪人が現出した。

戦国の武士には、己の男を立てることと己の功名を立てることしかなかった。くだって徳川氏全盛の世の武士は主君と藩への忠義しかない。
今は違う。融資はそのココロザシに殉ずる時勢になっている。

竜馬の平等思想の根拠は、この用語(日本人)の中に込められている。

幕府を倒して、政府ができてもみなは役人になるな。一方では海軍を興し、一方ではこの亀山社中を世界一の商社にする。そのつもりでやれ。

年上の人を相手に猥談をしちゃならん。図に乗って、淫談戯論をするうちに、どうしてもその語中に見下げられるところが出てくる。年者は面白がりながらも心中、軽蔑する。

静止などは取り立てて考えるほどのものではない。何をするかということだけだと思っている。
世に生を得るは、事を成すにあり、と自分は考えている。

武士の道徳は、煮詰めてしまえばたった一つの徳目に落ち着くであろう。潔さ、ということだ。



竜馬がゆく(5)/司馬遼太郎

池田屋ノ変、蛤御門ノ変と血なまぐさい事件が続き、時勢は急速に緊迫する。
次々死んでゆく同士を思い、竜馬は暗涙に咽んだ。

「諸事、この眼で見ねば分からぬ」というのが、勝と竜馬の行き方である。現場を見たうえ、物事を考える。身もせぬことをつべこべ言っているのは、以下に理屈が面白くても空論に過ぎぬ、というのが、、この二人の行き方であった。

とにかく、勝には、妖精のにおいがする。そのいたずらっぽさ、底知れぬ知恵、幕臣という立場を超越しているその発想力、しかも時流の脇にいながら、神だけが知っているはずの時流の転轍機がどこにあるかを知っている。

竜馬がいつ来ても鈴虫が生きているように、入念に飼い育てていたものに違いない。心づくしという言葉がある。茶道の言葉である。
「人をもてなす心の働き」という意味であろう。

こういう年少者の熱っぽい語調で語られる報告を頭に入れると、どうも冷静な客観的判断を失うと思ったのである。




竜馬がゆく(4)/司馬遼太郎

志士たちで船体を操り、大いに交易をやり、と聞いたらば倒幕のための海軍にする。
竜馬はついに一隻の軍艦を手に入れたのであった。

どう見事に腹を切るかが、「おれはこんな男だ。」と自分を語る最も雄弁な表現法であるとされた。
だから、武士の家では、男の子が元服する前に、入念に切腹の作法を教える。

筆者は、日本人に死を軽んずる伝統があったというのではなく、人間の最も克服困難とされる死への恐怖を、それを押さえつけて自在にすることによって精神の緊張とびと真の自由を生み出そうとしたものだと思う。その意味で切腹は単にその表れに過ぎないが、その背後には世界の文化史の中で屹立しているこの国の得意な精神文化がある。

北添、人がことをなすには天の力を借りねばならぬ。天とは時勢じゃ。時勢、時運という馬に乗ってことを進めるときは、大事は一気呵成になる。その天を、洞察するのが、大事をなさんとするものの第一の心がけじゃ

一粒、涙の玉が転がると、涙への義理のようなもので、本当に悲しくなってきた。




2009年7月2日木曜日

楊家将(下)/北方謙三

面白い。グングン読み進んでしまった。

宋が大敗して、親征を決意するくだりまで、ずっと宋の視点で書かれているのが、読者としてはドキドキさせられて心憎い演出だった。

そして、終盤では、視点が宋・遼とめまぐるしく変わっていく。
最後の展開を、敵軍の耶率休哥の視点から書かれているのが、秀逸。

もう、とめられませんでした。

解説より、
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北方さんは、
「楊業という男に呼び止められ、書けと命じられているような気がした。」
と、ご自分の霊感(インスピレーション)について語られた。

今まで日本に「楊家将」が伝わらなかった原因は、ひょっとすると、伝説の英雄の魂が、北方謙三という書き手を、ずっと待っていたからかもしれない。

本作は、そんな空想をしたくなるほどの傑作である。
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