2012年6月30日土曜日

世界が見える 日本が見える/大前研一

日本はエコノミック・アニマルという一種目制覇を狙ったスペシャリスト国家である。これで慢心し、向上心を捨ててはいけない。経済的・短期的利益を超えて、世界に対して、健全なリーダーシップを発揮できるようにならなくてはいけない。――国際社会の中での新しい国づくりを斬新な視点で考えた話題作。
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日本人は、自分たちのことにしか関心を持たないので、世間知らずだ。

ここの消費者としての行動はまさにロジカルで、コスモポリタンであるにもかかわらず、その集合体は国粋主義となるという奇妙なパラドックスが生まれている。

少数の本当に優秀な人が、他の多くの人が余り惑わなくても済むような完璧なやり方、レセピーを確立することに専念する、という成功のパターンが日本でもかなり出てくるのではないかと思われる。

利害の根拠はどの辺にあるのか、背後の仕組みはどうなっているかと行ったことが、日本人にはまるっきり理解できていないのである。

フランス人は「人のやったことのないことをやる。」というのを、人生の基本方針にしているかのように見える。
「フランスのシトロエンを見ていると涙が出てくる。技術者としてやりたいことを全部やっているのだから。」

アメリカ人を相手に効果的な議論を展開するには、まず最初に、「この問題については、3つか4つのやり方がある」と、いきなりいくつかのソリューションを設定してみせることから始める。

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「インターナル」なトランスレートが可能な人物は、日本以外の、例えばアメリカならアメリカの社会に、一度没入した経験を持っているはずだ。日本人としてのアイデンティティを失わないまま、他の国の社会に没入してみて、「ああ、彼らはこういう考え方をするのか」という原体験を経験する。
それから、今度は自分の国の社会に戻って、「久しぶりに帰ってみると、あの重役はあんなことを言っている。しかし、自分も以前は同じような考え方をしていたな。」という具合に、新しく獲得した原体験をベースに、もう一度「焼き戻し」をすることになる。

つまり、2つの原体験が起こっていて、それがその人のソフト/ブレインの内部で合成されているという状況である。
2つの原体験を持てばそれだけで、インターナル/トランスレーターとなり得るかというと、むろんそう簡単にはいかない。
原体験そのままのモンタージュを維持しながら、心の中でトランスレートできるという人物が、まるで突然変異のように出現する。

国際的な文化の違いに対して、曖昧な態度が最も不都合なのである。
「国際的」だということは、何もかも相手と同じやり方に併せようとするのではなく、相手と違ったときに、違いの理由や背景を説明し、相手にそれを納得させられるかどうかという点にかかっている。

ソフトを産み出す、人間そのものが最大の資源になるという現象が起きている。



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