「21歳で創業後、会社はピンチの連続だった。苦労を重ね事業を伸ばすと、どん底に突き落とされる。その繰り返しだった。はい上がっていくと、また振り落とされる。その度に“ピンチはチャンス”と言い聞かせてきた」不屈の経営者精神でヨネックスを世界的なスポーツメーカーに育てた米山稔の波瀾万丈の物語。
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ヨネックス創業者の米山さんの「私の履歴書」
幼いころの暮らしから,戦争の経験について.
その後,新潟で事業を始め,バドミントンラケットの製造を行うようになり,YONEXを世界のスポーツブランドに育て上げた過程は波瀾万丈です、
あっという間に読めます.
そして,最後の報にあるYONEXの契約選手とのふれあいの話は,バドミントン・テニス好きの方には良いと思います.
個人的には,全英オープンのクリステンセンの話が好きです.
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