2008年5月22日木曜日

親孝行プレイ/みうらじゅん

親孝したいとか、親は大切だとか、思っているだけでは気持ちは相手に伝わりません。具体的に行動しないと意味がないのです。

ということで、どうせなら徹底的に親を喜ばせてあげたい。

そこで、忘れてはならないのでは、相手が親だからこそ「誰よりも気を遣い、誰よりもサービス精神を持ち、誰よりも接待感覚を忘れてはならない」こと。


大胆な理論の展開かと思われるかもしれないけど、実は親孝行というのはここまで考えて行動しないとできないものなのかもしれない・・・って思わせるものがある。

母親という人種は「家電」の話に意外なほど喜ぶものなのである。実家に帰ると、今の飾りと台所の家電製品をチェック。
新しい家電を自分でも購入しようと本当に思わなくても良い。「すごいなぁ」、「ウチも買おうかな」ぐらいの台詞をつぶやけば、彼女の自尊心をこれ以上ないくらいくすぐる。

「孫を魅せれば喜ぶ」は間違い。やはり、自分の子供の方がかわいいのだ。「孫にはすでに他人の血が入っている。要は、「孫は私の子供にそっくり」ということだけを言いたいのだ。
孫見せプレイ=血筋プレイである。

父親にはいつまでも「ダンディなもの」を送り続けなければならないのである。「お父さんはまだまだ若い。」これくらい大丈夫。
父親と話すときは、相手を北野武など、年長であこがれている人物と今喋っているのだと、自分を洗脳して思いこませる。

年長の人と話す機会を持ったとき、その会話が盛り上がるか否かは、「話が面白いか」がポイントではなく、「その人の話だったらどんなにつまらない話でも聞ける。」という感情がまず第一にあるはずなのだ。

親友は、父親に似た人を選んでいるんだよ。みうらさん自分のことも大好きだけど、人のことにもどんどん介入したり助けてやったりするの好きじゃん。ウチの親父もそういうタイプなんだよね。父親は息子の市乳と気が合う。」そう、親友とは親の友と書くのである。

母親はいつまでも息子の恋人。よく「娘さんを私にください。」というシーンで、「娘を持って行く前に一発殴らせろ!」という父親のシーンはあるが、逆の母親と息子のシーンはない。母親は息子が結婚しようが「別れた」という気持ちにはまったくなっていないからである。「別の男にとられた」という感覚は全くなく、「愛人にくれてやった」という感覚でしかないのだ。

妻というのは、下手をすると、義父と義母と夫と自分、全員が平等に幸せになろうと思いがちである。しかし、本当に必要なのは全員の幸せの追求ではなく、自分が「愛人」レベルである状況を作り出すことの自覚である。「徹底的に夫にかしずく」「夫をとにかくほめる」である。


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