2008年12月1日月曜日

「残業ゼロ」の仕事力

吉越浩一郎

「時間内に終わらなければ残業すればいい」という考え方で対処していると、なぜ仕事が終わらないのかという理由が分からず、したがって抜本的な解決も図れないので、常に同じ問題が繰り返し発生し続けることになります。
問題を顕在化し改善する絶好の機会が、残業によって奪われてしまうのです。

本気で「残業ゼロ」をしたいなら、残業をしなくてもこれまでと同じ、いや、今以上に業績を拡大することができるように社員の意識を変え、会社のシステムを作り替えることを同時にやらなければならないのです。

「どうせ残業すればいいのだから」という、弛緩しきった仕事のやり方が体に染みついた日本のホワイトカラーは、もともと仕事の密度が薄いはずですから、心配するには及びません。

「緊急対策」「再発防止」「横展開」が基本

「そんな気分だから」という感情や感覚ベースの言葉はすぐさま却下されます。
「最近は野菜中心だったし、魚は昨日の夕食に食べたろ。それに、先日手に入れた赤ワインもそろそろ飲んでみたいから、今夜は肉量が良いと思うんだ」というような明快なストーリーがあって、やっと美味しい夕食にありつけるのです。

「優先順位を考えたり、スケジュール表を作ったりする暇があるなら、その間に仕事の一つも片付けた方が良い」

デッドラインを決める際、気をつけなければならないのは、相手の顔色を見て、「これくらいならできるだろう」という配慮をしないことです。そうではなく、あくまで「会社にとって正しいことを優先する」、これがデッドラインの決め方の極意です。

書類などのファイリングも、仕事の案件ごとに分けるのではなく、デッドラインで整理するのが一番良いと思います。

「なぜこうなるのか」ということを、ありとあらゆる事実と情報を集め、それらを使って理詰めで証明する以外、ボスを納得させる術はないのです。

「無理せず続ける」ことが重要なのです。
そうやって続けていると、やがて全ての問題の根底にある「根の深い問題」の姿が明らかになってきます。

TTP(徹底的にパクる)と名付けて、今でも仕事の信条の一つにしています。

「会社での8時間を懸命に働くのは、当たり前である。当たり前でないのは、会社が終わってからの時間をどう過ごすかである。」

「60点主義で即決せよ。決断はタイムリーに成せ。決めるべき時に決めぬのは度し難い失敗だ。」
「人は早く高度の仕事に就けるほど伸び津港産が大きい。仕事は重課主義でゆけ」
「人はいつも不足気味にしておけ。そうでなければ人は育たぬ。」
「暇がないので考えられない」というのは誤りだ。忙しいときほど考えは身につく・・・

「ノー残業デー」を定着させるために、まず私がやったのは、違反があった部署に反省会を義務づけることでした。目的は、残業が起こった原因の究明と、再発防止のための対策を自分たちで考えてもらうことです。
その考えを糞味噌にこき下ろして、「こんな思いをするなら、残業しない方がましだ。」と考えさせること。

GWなんて、毎年あることだし、時期も決まっているのですから、あらかじめ年間スケジュールに組み込んでおいて、さらに、sこまでにやるべき事が月間・週間スケジュールに落とし込まれていなければおかしいのです。

それでも、残業したら「連帯責任」。

大切なことは、毎日仕事を終えた後の3時間あまりを「自分の人生のために投資する」、と考えることです。
短期的な仕事のための情報収集と言うよりも、もっと長いスパンで自分にとって本当に必要な人と経験のためにその時間を使うべきです。

どんなに親しい人が相手でも、二次会には行かない、と決めていました。なぜなら、私の場合、夜は八時間寝ないと翌日調子が出ないからです。
二次会に行っていたら、大切な八時間睡眠が確保できませんからね。

私にとって、仕事はゲーム以外の何ものでもありません。だからこそ、「勝つ」ということが、最も重要なテーマなのです。

今居る組織で何か問題が起こって、このままではそれが解消できなことが分かっていたとしても、これまでのやり方を積極的に変えようという人は希です。
なぜなら、たとえ間違っていようと、慣れ親しんだ世界に居続ける方が、何が起こるか分からない新しいことに挑むより、ずっと居心地が良いからです。

うまくいかない責任は部下ではなく、部下の意見に左右されるトップにあるのです。

「失敗する」のは、途中で諦めるから失敗するのです。成功するまで続ければ失敗のしようがないでしょう。部下が協力してくれないのなら、協力したくなるまでこちらも踏ん張る覚悟が必要です。

会社を強くして競争にかつ。組織が共有する者はこれだけで十分です。理念など無くて結構。そして、この目的を果たすために、何をすべきか考えるのがリーダーの仕事です。

健全な組織というのは、人間の体のようなものです。つまり、「のどが渇いたら台所に行って、水道の蛇口からコップに水を注いで飲む。」というような、目的達成のための合理的な行動がスムーズにできる、ということです。

まずは、自分の裁量がきく範囲で、取り組んでいくことも同じように大事だと思います。

トップがリーダーシップを発揮し、部下がフォロワーシップでそれに答えると言うことがきちんとできている会社には、市場の変化にも素早く対応できるだけのスピードが備わっているはずです。
だから、将来のリーダーを目指すのであれば、部下で居る間はひたすらフォロワーシップを磨くこと!

フォロワーシップは、素直で従順であれば良いという意味ではありません。ただ従うのではなく、「この指示にはなんの意味があるのだろう」「なぜ、今これをしなければならないのか」といったことを常に考えながら動くのです。

どう考えても自分はそう言ったリーダーとしての素質を持ち合わせていない、という人はどうしたらいいのでしょう。
そう言う人は、リーダー以外のところに自分の活躍の場を見つけ、そこで腕を振るえばいいのです。

にぎやかで活気溢れるオフィスというのは、誰も仕事に集中していない状態なのです。

個室で仕事すると、以前とは比べものにならないくらい仕事が進むことがわかりました。
「がんばるタイム」で、騒がしい状態をなくし、仕事に集中する。
違反者がいれば所属する部署には例によって、罰金が科せられます。

組織の上層部だけが情報を握っていて、密室で何でも決まっていくような組織が、健全であるはずがありません。
「自分たちはいつも蚊帳の外」である社員のモチベーションがどうして高まるでしょうか。
しかし、情報をオープンにすると言うことは、反対の意見を生み出すと言うことなのです。
それでは、トップが社員と同じレベルの情報しか持っていないにもかかわらず、「自分の意見に従え」と社員に言える根拠はいったいどこにあるのでしょう。
何が、会社にとって正しいのかを論理的に考え、なおかつ判断に至るスピードが速く、決断する勇気を持ち、責任を取る覚悟がある。そして、その判断が圧倒的に正しい。

もしあなたがビジネスパーソンとして勝ち残っていきたい、と強く願うのであれば、動物である人間が、本来持っているはずの野性味を取り戻すところから始めることです。
真面目で従順なのが善である、という常識を捨ててみると良いでしょう。
「GNN,義理・人情・浪花節」は、野性的であるためには役に立たないので無視します。

いくら自分では全力を出しているつもりであっても、本来のその人のキャパシティから見たら、明らかに余力が残っているように思われます。
自分のキャパシティを知るのは、それほど難しいことではありません。
仕事にデッドラインをつけて、自分を追い込めばいいのです。
そうすれば、仕事のスピードは必ず上がります。

私が、仕事はゲームだというと、「ゲームとはなんだ、不謹慎だ」と怒る人が居ます。そう言う人は、仕事をなんだと思っているのでしょう。
・自己実現の場?
・人生そのもの?
これって、おかしくはないでしょうか?
会社にとって見れば、社員が仕事で自己実現していようが居まいが、はっきり言って関係ない話です。

「仕事はゲーム」と割り切っていれば、自意識のような邪魔な者は脇に置いて、純粋に「ゲームに勝つために取るべき最善の方法」を取ることができると思うのです。
百貨店、取引先の社長達のテーブルに、迷わず近づいていく。

自己実現とか、人生そのものとか、夢とか、仕事に余計な意味を持たせると、それが時として、仕事の足かせにもなりかねないのです。

独立に欠かせない能力の一つに、リーダーシップがあります。
これを獲得するには、部下としてフォロワーシップを学びながらも、常に「自分が上司ならこうやる」というシミュレーションと、いつか自分が上に立つのだという気概を忘れないことです。

これから働く会社を選ぶ若い方は、ぜひ現場に近い、小さな組織で実力を磨いていくことをオススメします。

「人生を愉しむためには、準備が必要だ」
定年後に時間ができても、それまでの間に計画を立て、家族や友人との絆を深めるなどの準備をしておかないと、ようやくできた時間が、ただただ苦痛な「余生」となってしまう危険があるのです。

働くために生きる、ではなくて、生きるために働く、でなくてはならない。
日本人はほとんどが働くために生きるです。

本人は家族のために頑張って働いているつもりでも、家族は必ずしもそう思ってはくれません。
ときには強烈なしっぺ返しが待っているのです。

「結婚するまでは、お互いの目を見つめ合ってきました。これからは、手と手を握りあって、同じ方向に顔を向けて歩いていきましょう。」

「生涯現役を目指す」というのは、日本人の理想とされる生き方のようです。もちろんそれも結構だとは思いますが、現実問題として、一生働けるという人は限られているでしょう。

そう考えると、生き甲斐や自己実現というものは、仕事よりも仕事以外の生活に求める方が自然だと思いませんか?

日本の場合、定年を迎えるときに、「さぁ、これから自由を満喫するぞ」と、喜び勇人はまれで、ほとんどの人は、再就職先を探すなど、一日でも長く働こうとするのが普通です。
「とにかく働いていたい」という気持ちの裏には、「仕事が無くなったら何をしていいかわからない。」という恐怖があるのでしょう。

何を準備して良いか分からなくても、とりあえず残業が減れば、その分自由な時間が増えますよね?
その時間を楽しめるようになるだけでも、十分準備になるはずです。

それまで家族の会話が足りなかったと思う人は、とにかくパートナーと話をすることから始めるのも良いでしょう。
あなたの「本生=本番の人生」を充実させるために、明日からは少し早く帰ってみませんか?


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