2008年10月28日火曜日

独身女性の性交哲学

山口みずか

恋愛は娯楽、セックスは趣味、結婚なんてもちろんしない
これでも、結構幸せに生きています。


恋愛と結婚は別、というのが常識なのに、恋愛を経なければ結婚できないという矛盾が生じているのだ。

男女平等でしょ?と信じて疑わなかった小中高時代を過ごし、結婚適齢期になって突然「お嫁さん」という課題を突きつけられても、ままならないのは自明ではないか・・・。
「男を立てる」ような教育なんて、一つも受けてないのだ。それがいまや「誰かいい人は居ないの?」はないだろ。
どの段階までが男女交際付加で、どこから結婚(セックス)推奨なんだかわけわかりません。
母親の呪縛に関しては、優等生に育ってきた女ほど強烈かも。

恋愛資本主義:女は商品で、その価値はいかに男に大事にされるか、金を使ってもらえるかにかかっている。
愛なんて目に見えない。神様なんかいない。信じられるのは、お金だけ。女であるという資本を金に換えることが売春ならば、お金持ちと結婚したいのも売春と大差ない。

本来、愛は「愛される」ではなくて、「愛する」という受動系なんじゃないだろうか?
見返りを期待せずに愛することはとても難しいのだけど、見返りを要求したとたんに愛は欲に変わってしまう。愛とは、相手の行動や考え方に自分が同意できなくても、受け入れることだ。

彼のたばこをやめさせたい
「どんどん値上がりするし健康にも悪いし、やめてって言おう。これは彼のためだわ、だって愛してる人の健康を願わないわけ無いじゃない。」
「たばこを吸われるのは嫌だけど、彼がやりたいことを止める権利は私にはないし、愛してるからそれもひっくるめて彼だと受け入れよう」

前者は、彼に対して愛がないし、後者は自分に対して愛がない。

「自己犠牲は愛じゃない!!」

ファンとして、一方的に思いを寄せるだけなら自分は見られる対象にならなくてすむ。あこがれの対象を観察する立場で居られるわけだ。

「ひとりでできるもん」っていくら強がっても、誰かが「よくやったね」って承認してくれることなしに心は満たされないわけだ。だから親との関係でつまずくと、その後の人生は確かに厳しい。

男が結婚に望むのは、そんな安定した状態だけれども、女はいつでも恋愛のときめきを捨てきれない。
女にとっての愛は、毎日「愛してる?」「愛しているよ」っていう言葉でも確認作業だったり、相手の些細な感情の動きを見すごさない事だったりする。女は、男にとっての「小学校」(いつでもある場所)になりたくない。だから男は通っても楽しくない「小学校」を避けて、寄り道の浮気をするようになるのだ。

女が結婚したいときに、それは、毎日家事に明けくれ男をサポートする役を割り当てられることではなく、「結婚した」という既成事実、それも大恋愛の末のゴールという女としての達成感がほしいんだ。
まるで大学に入ったらもう後は勉強しない大学生のよう。

自分が心地良いと思えることより、他人に指示されるスタイルを優先しなくちゃいけなくなるとしたら、それは幸せなのか?結婚したい普通のお嬢さんに「ファン」はいらない。

外面で選ばれることよりも、中身の充実こそ大事。
そして、その中身も、習い事に励むとかじゃなく、ちゃんと自分の頭で考えて判断し、自分に自信をつけることではないかと。
そしたら、結果的にはいい男に選ばれるとか、愛されてる私なんて幻想に依存しなくても、とりあえずひとりで生きていけるさ。

彼氏も友達もみんな同等で、緩く色んな人とつながっていられることが、一番理想的だと思うのだ。

恋愛の六要素
1.広義の知的関係要素(話が合う、人間として尊敬できる、おたがいに高めあえる)
2.性的欲求合致要素
3.安定感満足要素(甘えたい、安心できる)
4.社会的地位達成要素(相手の地位)
5.生活便利要素(経済力、家事をしてくれる)
6.激情ゲーム要素(運命の恋、ロマンティックラブ)

お互いに、1.の関係を高めていけるような相手じゃないと、長く続けていくことは不可能じゃないだろうか。

肉欲を満たしてむなしくなるのは、心と体がバラバラみたいで悲しいじゃないか。

女にとっては、セックスしてあげるんだから「責任取ってね」というための確認作業になっていて、自己責任を放棄している感すらある。
セックスしたいかどうか、一番確実なのは、自分の気持ちだ。

愛のないセックスより、快楽のないセックスに問題があるんじゃないでしょうか。

女は「この男が自分に欲情している」証として、勃起していることを求める。

好きな男には征服されたい、「あなたのモノになりたい」、ふたりで一つになりたいって思うのは、女性のファンタジーだ。
それは男の側の、女をモノにしたい、モノにした女だから好き放題に扱って良いという価値観と対を成している。
自分本位のセックスをする男をなじる前に、じゃあ自分はどうされたいのかって考えてみても良いんじゃないのか。

確かに、男が好きだからと行って、ストレートに男の身体に興奮する女性は少ないようだ。
いざ性的な場面に来ると、その彼が自分をどう扱ってくれるかの方がより重要じゃないだろうか。
セックスの主役はあくまでも女体なのだ。

女子はまず自分の主体的な欲望のあり方を、自らに問うてみては如何だろうか。

彼と「ひとつの存在」になれない、だからこそセックスの甘美な錯覚が良いんじゃないか。

女性は自分が愛されている証拠として、時間をかけた善着を求めるけど、それって相手を利用したオナニーじゃないのかなぁ。
だから、性欲を自覚した女は、ちゃっちゃと自分一人で行ける術を身につけて、他人に依存しないようになっておくのが吉。全部男頼みなんて自分の体に無責任じゃないか。

ポリネシアン
成功の回数は普通には5日に一度が上限である。四日は、男女はしっかり抱き合って眠るのだが、性器の接触はしない。性交するときは、前着と愛撫を少なくとも一時間行い、接吻し抱擁し愛咬する。
挿入した後は、男女は最低三十分は身動きせずに抱き合って、それからやおら前後運動を始める。おるガス無があった後も、長時間、性器を結合させたまま抱き合っている。

いい男が居ないとか、男はみんなキモいって言うのは、自分の勢力が弱っている証なんだ。
勢力に溢れていれば、セックスだけなら誰とでもできるはず。

人間的にもセックスのない要も悪くなくても、相手がなじみになったときに発情しなくなることもある。それでも相手が一方的に発情してきたら、そこに生理的嫌悪感は生じる。

恋愛と結婚は別だというのなら、恋愛を経て結婚しなくても、恋愛の相手と、生活を共にする男は別にすればよい。一人にすべてを頼るよりもよっぽど健全。

答えのない本当の恋愛、オンリーいうーフォーエバーな相手を捜し求めるよりも、たとえ永遠じゃなくても、強いつながりじゃなくても、男女問わず色んな人と信頼できる人間関係の網を自分で作っていくことの方が価値があると私は思う。

幸せとは、自己肯定感だ。

現状をこのままじゃいけないと責めているのは、自分自身に他ならないわけで、周りが責めることではない。

人の気持ちは、頑張れば手にはいるわけじゃない。

本当に大事なのは、色恋なしの信頼できる人間関係なのだ。


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