2010年4月17日土曜日

サッカーとイタリア人/小川光夫

毎週どこかで日韓戦が行われている国。イタリアとはそんな国なのである。

サウロ・トマ、スペルガの悲劇後、復帰第一戦。
スタジアムまで続く道の菱和w期の建物のバルコニー全てが、トリノのカラー、グラナータ一色に染められていたんだ。そして、その全てに人々があふれかえり、我々にあらん限りの声援を送っていたんだよ。

ウディネーゼの「ジーコか、オーストリアか!」

カルチョの首都、ミラノ:インテル、ミラン
カルチョのパイオニア、ジェノヴァ:ジェノア、サンプドリア
スペルガの悲劇、トリノ:ユヴェントス、トリノ
ロバが飛んだ日、ヴェローナ:ヘラス、キエーヴェ
ジーコかオーストリアか、ウディネーゼ:ウディネーゼ
トスカーナの覇権、トスカーナ:シエナ、リヴォルノ、エンポリ、フィオレンティーナ
シンデレラ・ストーリーの終焉:パルマ、ボローニャ
"東洋の神秘"との幸せな出会い:ペルージャ
"神"とのラブストーリ:ナポリ
古の旅人は、「ナポリを見てから死ね」と言い、このヴェズーヴィオ火山の裾野に広がる港町の美しさを称えた。イタリア全土でも、ローマ、ミラノに続く3番目の規模を誇る。
祖母がナポリ出身のマラドーナ。相思相愛の移籍後、約8万人収容のスタディオ・サン・パオロの86%が年間シーとして予約済み。
「初優勝の後、スパッカ・ナポリをはじめ町全体がまさに無法地帯と化した。」ナポリの市営墓地の壁に、そこに眠る使者たちに向けて、「お前たちは、本当に大事な瞬間を見逃した!」と。
そして、90年W杯イタリア大会、アルゼンチン代表キャプテンとしてマラドーナは、地元イタリアを破る大金星。奇しくもそのときの会場は、ナポリ。
地元での優勝を確実視していたイタリア人は、このマラドーナの"ミラコーロ"を赦さなかった。
それ以降、バッシングが始まり、イタリアから追放される。
しかし、ナポリの人々は、マラドーナへの愛情が消えうせることはなかった。
麻薬中毒で昏睡状態と知ると、スタジアムに「ディエゴ、君の復活を信じている。」「俺たちは、いつも君と一緒だ」とエールを送った。
南部の灯を消すな:バーリ、レッジーナ、レッチェ、カタンザーロ
2つの島のカルチョ、シチリア、サルデーニャ:カターニア、パレルモ、メッシーナ、カリアり
最も過激なデルビー、ローマ:ASローマ、ラツィオ

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