2008年9月23日火曜日

すべての男は消耗品である

村上龍

自分の手で獲物をかる力を失った男は、女たちのための消耗品で終わるのか?

過激だが、明解なメッセージ。
世紀末を明るく生き抜く男と女へ、元気と輝きに溢れる挑発的エッセイ。

「ひよわな花・日本、分析と警告」を書いたブレジンスキーは、日本の社会構造と考え方が、革命的かつ創造的な研究開発には適していない、と指摘している。

何度も言うとおり、男は消耗品である。戦争に行くのは、男に勇気があるからなどではなく、男はほんの少し残っていればあとは死んでも平気だからだ。

耐久財より、消耗品の方が自由がある。

純愛=プラトニックラブの場合は、一人の女に百人が恋をしても別に良いのである。

飲み屋で、夫と別居中だという女性にあった。彼女は、別居中のその夫と二人で酒を飲みに来ていた。
こういう場合、圧倒的に女性の方が元気で、男は実に辛そうな顔をしている。

ケン・フォレット、冒険小説。

愛し愛されることを願う相手が、自分の目の前で違う人格を晒してしまうこと、これは一種の恐怖である。


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