2009年4月29日水曜日

この世で一番大事な「カネ」の話/西原恵理子

生まれる場所を人は選ぶことができない。
だとしたら、ねぇ、どう思う?
人って、生まれた環境を乗り越えることって本当にできるんだろうか?

みっともないから、やめなさい。母親からそういわれるのが本当に嫌いで、言われるたび、「この人は体裁や世間体ばっかり気にして、何にも分かっていない。」って心のそこから反発していた。

最下位の人間に、勝ち目なんてないって思う?
でもね、最下位の人間には、最下位の戦いってもんがあるんだよ。

お父さんが死んで、自分だってこの先どうやって生きていくのか分からないときだったのに、そうやってかき集めた全財産百四十万円のうち、百万円を私に手渡してくれた。
「これで東京に行きなさい」

プライドで飯が食えますかっての!
私に言わせるなら、プライドなんてものはね、一銭にもならないよ。

ひとつの仕事が次の仕事を呼んで、仕事の道ができていく。
だから私は思うのよ。才能って、人から教えられるもんだって。

今、じぶんっがいる場所が気に入らなくって、つらい思いをしてる子だって、その「いやだ」って気持ちが、いつか必ず、きっと、自分の力になる。

あからさまに馬鹿にされたら、ふつうは心が折れちゃうけど、あとで漫画に描けると思えばオイシイったらありゃしない。
大事なのは、単に金があるってことじゃない。働くこと。働き続けるってことが、まるで自家発電みたいに、私がその日を明るく頑張るためのエンジンになってくれたのよ。

「負けてもちゃんと笑っていること」これはギャンブルのマナーの基本中の基本。
ギャンブルって言うのはどうやって勝つかじゃない。負けたときにどう切り返すかだ。

魚のにおいがするお金。それはものを作った対価としての金。その日働いた対価としてのカネだよね。

手で触ることのできない、ただの情報みたいに見えてしまうカネと、そういうにおいや手触りのあるカネとでは、なにがどうちがうんだろう?
やっぱり、カネの重み、カネのありがたみってものが違ってくるんじゃないかって思う。

若いうちに、このお金は今日一日稼いだ稼ぎだと実感できるような体験を積んでおくことが凄く大事だと思う。

みんなで外でご飯を食べたのに、自分だけ食事代を払わないで、知らん顔してる子もいる。払わないで住むんなら、払わないに越したことがないという態度で、自分からは絶対に出そうとしない。でも、財布の中に払えるだけのお金がないわけじゃないのよ。あれって何だろうね?
「損したくない」ってことばかり考えていると、人って、ずるくなるんだよ。少しでも人より得しようって思うから「だったら、ずるしちゃえ」っていう気持ちが出てきてしまう。
そういう意味では、「女の子なんだから、おごられて当然よね。」っていう文化があるよね。私はれもどうかと思ってる。
うちのお父さんなんて、私が男の子と会う日には、「おごられるくらいならお前がおごれ!」って、お小遣いを余分にくれたりした。

「アルバイトと世界放浪は、男の子の必修科目だからね!」って、今のうちからいってあるんだよ。
男の子は外の釜の飯を絶対に食べなきゃいけない、アルバイトをしてできるだけいろんな仕事を経験して、外の世界の大人からたくさんしかられてきなさい、って。

そんな不安定な時代に「旦那から愛される」ことだけを担保に生きていくなんて、危険があまりにも大きすぎる。人の気持ちと人の金だけは、あてにするな。

自分が稼いだこの金は、誰かに喜んでもらえたことの報酬なんだ。そう実感することができたら、それはきっと一生の仕事にだってできると思う。

働けることの幸せ、働く場所があることのありがたさについて、考えてみたことがありますか?
「餌をもらって生きる」だけじゃ牛や馬と同じになってしまう。人でなくなってしまう。
そうじゃなくって、やっぱり「働くことができる」「働ける場所がある」ってことが、本当の意味で、人を「貧しさ」から救うんだと思う。



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