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2012年1月22日日曜日

自分思考/山口絵理子


ベストセラー『裸でも生きる』
著者の初エッセイ。

やりたいことを見つけ、一歩踏み出し、続ける。
その行動の裏側にあった思考。

夢が見つかる一冊。

「自分思考」とは……
自分を見つめ、見つけ出し、
あくまで自分の価値基準=主観を持って道を切り拓くこと。

著者からのメッセージ
この本は、背伸びをしたり、見栄を張ったりせず、素直に、そして正直に、夢を見つけ、一歩踏み出し継続する過程で、自分自身と対話してきた私の心の変化を書きました。読んでくださる方にとって、一つの文章だけでも、明日からまたはじまる、人生のプラスになったらいいな……、と思っています。
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一連の体験の中で、私は心から「動いてみること」の大切さを知った。全ては動いてみなかったら始まらなかった。動いてみて、始めて知り得たことが沢山あった。
成田空港で最後に一歩、私の背中を押したのは、「現地に行ったら、夢が見つかるかも知れない。」という希望だった。夢が見つからず何をやったらいいか、まったく見えてこない私にとって、それを見つけるためだったら出せる限りの勇気を出そうって思った。そして、見つかった。だから動く事って、夢を見つけるためのチケット代みたいなものだと思っている。

行動することを躊躇しちゃう気持ちはとってもよく分かる。でも行動が自分にもたらしてくれるのは、何もその具体的なアクションだけじゃない。アクションした先で出会う人々、新しい世界観、新しい価値観、新しい悩み、葛藤、強さと経験、すべてが動いた代償として自分に与えられる。そう思うと、動く勇気なんて安いかな?と思うときがある。

私は、よちよちある気の中で知ったことがある。「一歩でも半歩でも踏み出してみること」と、「その場に立ち止まって考えている」のとでは、雲泥の差なんだと言うこと。
「生みの苦しみ」という経験は、後になって、じわじわ効いてくる。半歩でも良いから踏み出せば、道がなかった場所に道をつくりはじめたというわずかな自信がつく。

「変化しないって、すごくリスクだよ」
「もっと高くジャンプするために、今は沈んでいる状態なんだ」

私の失敗に対する考えは結構一貫している。それは「継続を辞めた時点で生まれるもの」だ。
そして、「失敗の数だけ成功を大きく、そして価値があり、長く続くものにする」ということ。



2011年3月18日金曜日

「日本男児」という生き方/笹幸恵

女はいつの時代も、「骨のある、頼りがいのある男」に惹かれるもの。内に秘めた芯の強さ、行動力、寛容さ、落ち着き、野性味、ユーモア…そんな「日本男児の魅力」を女性ならではの視点で綴る、異色のエッセイ。“戦跡巡礼の看板娘”が贈る異色の「日本男児」論。
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艦長の工藤俊作中佐は、海に投げ出された敵兵を助け出し、甲板に集合させ、こうスピーチをした。
「諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。」

この出来事について理由を聞くと、「当たり前のことをしただけですから」と、実に淡々とした答えが帰ってきました。

背中に化粧はできない。青年達よ、背筋を伸ばせ!
背中を丸めて歩いていたら、視界に入るのは地面と自分のつま先ばかり。

タフであること。
・しぶとい:「疲れた」ではなく「死ぬわけじゃあるまいし」と、自分に声をかける。
・動じない:「食えるものは何でも食え。それで腹を壊したら、鍛えていない胃腸が悪い」
・俺がやらねば:自己犠牲の精神が、精神的にたくましい、タフな男を育てる。

潔さという美学。
「赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に敵を報ぜんとするか、あるいは白虎隊となり、玉砕もって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか。」
時に、男は潔く立ち上がらなければならないときがある。
逃げ道を作るな。
報復ではない。処罰である。
真の覚悟とは、いかなる場面においても逃げ道を作らないこと、これに尽きると思います。そしてそれを為し得る人こそ、本当の「男」ではないでしょうか?

立派な志より、一人前の社会人たれ。
新卒採用の際の、明確な目的意識は、返って自分の幅を狭めることになる。
「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばか者よ。」

自分の考えが形成され、それを実現しようとすると偉くなることも一つの手段である。

半径50メートルの外へ出でよ。
男性の持つ力強さが「剛」の強さなら、女性は全てを受け入れる、しなやかな「柔」の強さと言えるでしょう。

女房のご機嫌取りをするのではなく、外に向かって自分の信念を貫き通してほしいと思います。
自分がやるべきことは何か、ちゃんと自分の立ち位置を把握しておく堅実さと冷静さが必要でしょう。

2009年2月4日水曜日

名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方/鈴木康之

文章は書くものではない、読んでもらうものである。

施しを集めた詩人の一言
「私は目が見えません。」→「春はまもなくやってきます。でも、私はそれを見ることができません。」

書くこと以上に難しいことが、読んでもらうことです。

コピーは、商品やサービスや企業のことを、優しく親切で分かりやすく、端的で要領が良くて読みやすく、言葉が魅力的で、面白くて気持ちよく、そして発信する広告主企業の方も、読者の方も、実際に顧客となった人の方も、それぞれに得をする。

広告の場合は、無からの想像ではなく、有の発見というアプローチとなる。

メガネは、涙をながせません。

片仮名三文字の「絵」と、漢字一文字の「絵」を表現している。
そのため、流すは、漢字ではない。

どんな文章であれ、どんな得であれ、読み人が得する話を書いてください。限りなくある「人が得すること」を想像してみてください。


地球温暖化ののどかな響きはおかしい。

最初の書き出しは、軽いほど良く、三行より一行。


どんな文章にも伝えたい話にふさわしい気持ちがあるはずです。
その気持ちで書きなさい。
読んでもらいたい人の前に出たらするはずの顔つきをして書きなさい。

「これは人にぜひ聴かせたい」と思わず膝を叩きたくなるいい話を聞き出せたら持ち帰って書く。
このことを「コピーは読者への土産話である」といっている。

一つのメッセージがどうやったら一番届くかという方法論を探ること。
個性を出すとか言う事じゃない。デザインを感じさせないデザイン。
それがデザインだと思う。

君が思わずすらすらと読んでしまった物、それを何度も読み返して、なんですらすら読めたのか、考えてみたらどうだ!

一行目はどうやって書けば良いんですか?
二行目を読みたくなるように書くことだよ。

是非誰かに聴かせたいという、強い衝動に襲われるまで待ちなさい。
聞き上手の後は、上手に読まれる書き上手になりなさい。

発想を変えると言うことは、なれない人にはなかなか難しいでしょう。
要領は視点を変えてみる、鳥のように空から見下ろすのを鳥瞰といい、虫のように地べたから見るのを虫瞰といいます。
男の目、女の目、老人の目、子供の目、外国人の目、色々な立場から物事を考えてみましょう。
一発で百点満点の完成品に到達することなどできるわけがない。
毎日毎日考えて、〆切時間が来たら、もうこの時点ではこれで良いだろうか・・・と不安なまま手放している。

今日から一年で十分、自分自身について色々な視点から短くて面白い文章で書き続けてみませんか?

「人と同じ事を思い 人と違うことを考えよ」


一文一義。文章は読む人のため。

家族も家財も「動揺しない」家

名品は、どんな言葉の形容よりまさるから名品なのです。

説明のために、あらゆる言葉、あらゆる日本の文字を駆使しましょう。言葉を過信しないで、時には写真や絵や図表の力も。

クリエイティブの仕事を志望しているのなら、こんなテーマは他の人も書くだろうな、くらいのことは気付かなければダメです。
人と同じようなことをすることは恥ずかしいと思って避けなさい、独創的オンリーワンでありなさい。

Y式幕の内弁当
情報・整理・表現のチャート図

書くことは、書き直すことである。


文章は書くものではなく、読んでもらうものです。
読む人が、知って得するように、読んで満足するように書きなさい。
文章は中身が大事。
中身探しのために知らない話の世界を訪ねなさい。
書き上手になろうと思わずに、聞き上手になりなさい。
調べ上手になりなさい。
人と違うことを考えなさい。
書き直しなさい。文章を書くとは、書き直すことです。

2008年9月23日火曜日

すべての男は消耗品である

村上龍

自分の手で獲物をかる力を失った男は、女たちのための消耗品で終わるのか?

過激だが、明解なメッセージ。
世紀末を明るく生き抜く男と女へ、元気と輝きに溢れる挑発的エッセイ。

「ひよわな花・日本、分析と警告」を書いたブレジンスキーは、日本の社会構造と考え方が、革命的かつ創造的な研究開発には適していない、と指摘している。

何度も言うとおり、男は消耗品である。戦争に行くのは、男に勇気があるからなどではなく、男はほんの少し残っていればあとは死んでも平気だからだ。

耐久財より、消耗品の方が自由がある。

純愛=プラトニックラブの場合は、一人の女に百人が恋をしても別に良いのである。

飲み屋で、夫と別居中だという女性にあった。彼女は、別居中のその夫と二人で酒を飲みに来ていた。
こういう場合、圧倒的に女性の方が元気で、男は実に辛そうな顔をしている。

ケン・フォレット、冒険小説。

愛し愛されることを願う相手が、自分の目の前で違う人格を晒してしまうこと、これは一種の恐怖である。